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たなまっぷ 田名歴史カルタ

田名歴史カルタ

  • ㋑ 稲荷山遺跡 旧石器時代 人が住む

    縄文時代、田名高校付近には竪穴住居14棟、掘建柱式建物14棟の跡が発見され、半在家から八瀬川沿いにかけ、おおきな集落があったと思われる。(田名高校建設の時発見)

    住所 中央区田名6786-1
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  • ㋺ 六地蔵 江戸時代 新宿にたつ

    六地蔵は、1本の石柱の1面に2体ずつ3面に地蔵様が刻まれている。江戸時代子供の死をいたんで建てられたと伝えられている。

    住所 中央区田名7214ー13
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  • ㋩ 花ヶ谷戸 相模原最大 縄文遺跡

    夢の丘小と緑化センターの間にある。縄文時代早期の住居跡。矢じり、狩猟に使った落とし穴などが発見された。

    住所 中央区田名10463−1
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  • ㊁ 二十三間の大欅 鶴が岡八幡宮の 材料に

    1500年頃の田名には大きな欅の木が生い茂っていたと言われる。

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  • ㋭ 堀之内 田名氏館を 築いたところ

    平安時代、田名二郎兵衛広季が田名の地域を支配していた。館の周囲に塀をめぐらした事から堀之内と呼ばれるようになった。(大杉公園)

    住所 中央区田名4978−1
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  • ㋬ 平安時代 今と同じ 九つの集落

    田名は縄文時代に人が住み、平安時代には今と同じ九つの小集落があった。

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  • ㋣ とつぜん 四ツ谷の畑から 野水わく

    長雨が続くと地下水が浅いところから湧き出し畑の畔が川の様になった。

    住所 中央区田名4598−1
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  • ㋠ 茅ヶ崎の 海へ二十分 相模縦貫道

    インターチェンジ「相模原愛川」が出来、今田名は大きく変わって行く。

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  • ㋷ 緑化センター 大きな古墳が あったらしい

    今は解体整地され古墳の位置も分からなくなっている。

    住所 中央区田名10507
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  • ㋦ イギリス人 カヌーで田名から 横浜へ

    明治3年、英人マクレガーが久所の吉田屋旅館に泊まり、日本で初めてカヌーで相模川を下る。

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  • ㋸ るり色の カワセミ見られる 田名の水辺

    水辺では、コサギ、ダイサギ、カイツブリ、6月にはたくさんの蛍が見られる。高田橋周辺は水鳥の好観察地でもある。

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  • ㋻ 渡し舟 滝 久所 望地に ありました

    滝の渡しは昭和47年まで運行され、葉山下河原と田名を結んでいた。

    住所 中央区水郷田名1丁目18−12
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  • ㋕ 開墾時 葛が輪になり 葛輪になった

    下九沢の人々が鴨川の対岸の土地(葛輪)を開墾した。入植当時の苦労が土地の名前になったと言われる。

    住所 中央区田名2796
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  • ㋵ 四ツ谷には 江戸初期から 四軒の家

    昔は、現在の上四ツ谷交差点辺りに、4軒の家があり、大山街道と久保沢街道が交わるところに道標や道祖神が作られた。

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  • ㋟ 高峰と 田名をむすぶ 高田橋  (大正13年)

    高田橋は、高峰の「高」と田名の「田」をとって名付けられた。大正13年に木の大橋が出来た。

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  • ㋹ レンゲ咲く 望地弁天 歩く人

    もとは、江ノ島に置かれていたが、養蚕の守り神としてこの地に祭られた。弁天様は、市の重要文化財に指定されている。

    住所 中央区田名5835
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  • ㋞ その昔 田名は烏山藩の 領地なり

    江戸時代~明治維新まで田名は烏山藩大久保氏の領地だった。堀之内自治会館近くに烏山藩制札場跡の碑がある。

    住所 中央区田名4998−2
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  • ㋡ 椿森 聖徳太子の百年前 人が住む

    田名団地を中心とした一帯を椿森という。 (下水道工事の時、偶然集落の跡を発見)

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  • ㋧ 念仏講 家内安全 無病息災

    女の人達が大安などの吉日に集まり、念仏を唱えました。お茶菓子を持ち寄り楽しく講を行った。

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  • ㋤ 中島万平さん 飛びさきの下ほり 田に水を

    安政年間に作られた。望地、陽原、半在家、塩田の人が耕す田に水を送る事が出来る様になった。資金不足を望地の金井津衛門は蓄えておいた稗、粟などで援助した。

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  • ㋶ 金刀比羅神社 葛輪の地に 祭られて

    ご新燈は江戸時代に奉納された。戦前は歌舞伎芝居の一座を迎え唄や踊りで賑わった。

    住所 中央区田名2756−1 釖比羅神社
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  • ㋰ むかし税の 半分免除され 半在家

    在家役は年貢を半分免除され、平日は農民として田畑を耕し、非常時には武士として戦いをしたという説もある。

    住所 中央区田名5434−2
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  • ㋒ 鵜飼免 清水の東に 鵜飼住む

    鵜飼免は現在の清水地区の東側に位置し、領主の配慮で年貢を免除されたことにより、そう呼ばれるようになった。

    住所 中央区田名1667-1
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  • ㋨ 野水ぼり 大杉公園から 八瀬川へ

    四ツ谷には橋をかけて渡ったと言い伝えがある。野水は、梅雨や台風など長雨が続くと、三本堀りや八瀬川へ集まって流れた。

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  • ㋔ 大昔 田名は海の底 岩切場の地層が物語る

    田名リバーサイド付近、坂の途中に痕跡が見られる。

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  • ㋗ 久所の名は 公文所(役所)に 由来する

    昔、久所は公文所という役所のようなものがあり「文」の字が省略され公所(くしょ)そして久所となった。

    住所 中央区水郷田名1-5-1
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  • ㋳ ヤツボとは 水湧く洗い場 ハケにあり

    雨水が水を通さない岩盤のところまで来て湧水となる。水道のない時代「やつぼ」では野菜、洗濯物、農機具などを持ち寄って洗い、日常生活に欠かせない天然の洗い場で暮らしに役立った。(望地のヤツボ)

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  • ㋮ 的祭は 八幡様の 大行事

    源頼朝が鎌倉幕府を開く1年前から始まる。その年の豊作を占い、昔は邪気を打払って豊作になるように祈った。

    住所 中央区水郷田名1丁目8−28
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  • ㋘ ゲタかくす 一つ目こぞうが 判をおす

    一つ目小僧、別名「八日僧」と言ってだらしない家を見つけ、不幸をもたらしたり、悪さをする子供をこらしめたりすると言われた。当時の田名は今のように防犯灯もなければ、木々も多く夜になると真っ暗となり、一つ目小僧の話は恐ろしかった思い出があります。12月の田名の風物詩でした。

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  • ㋫ 船守地蔵 船頭たちの 守り神

    川を行き来する男達を守る為、地蔵は舟形の台座に置かれている。今は、塩田桜橋の信号から塩田自治会館に移された。

    住所 中央区田名塩田2丁目11−18
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  • ㋙ 蚕かげさん 金色ひめの ゆらいあり

    田名ではかつて養蚕が盛んで農家の生計を支えていた。堀之内の「蚕影山」では蚕にちなんだ祭礼が行われ、堀之内自治会では行事として今も続いている。

    住所 中央区田名4993
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  • ㋓ 江成久兵衛さん 堤防つくり 田をまもる

    久兵衛は私財をなげうち、28年間の歳月をかけ洪水から田を守るため堤防を築いた。田名村はたくさんの米がとれるようになった。高田橋のふもと付近に堤防跡の碑がある。

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  • ㋢ 鉄道の 予定地 いま草原

    昭和の初め、東京渋谷より鶴川、淵野辺、上溝、田名、愛川を結ぶ当時としては、遠大な鉄道敷設の計画があった。昭和2年4月着工工事は順調だったが、一部用地買収が不調、不況も重なり中止された。四ツ谷きらぼし銀行裏に痕跡がある。

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  • ㋐ 雨窪は雨がふるたび野水わく

    雨窪のバス停から水道道清水に向かって、進んだ辺り。雨が降るたび野水が流れる低い窪地が多く、こう呼んだといわれる。

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  • ㋚ 相模川 四季おりおりの いこいの場

    1月は寒中水泳、8月には花火大会が行われ大勢の人でにぎわう。

    住所 中央区田名12−11222
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  • ㋖ きりたった 塩田の崖に 地層のずれ

    田名リバーサイド坂を下りきった左手100m先に見られる。

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  • ㋴ 湧水地 段丘のがけに 珍しい草花あり

    県内でも湧水地特有の植物がある。記録が少なくなったヒロハンソウ、ミゾホウズキ、オランダガラシ、オニスゲ、サワダルマなど見る事が出来る。

    住所 中央区田名
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  • ㋱ 明治六年 宗祐寺南光寺に 田名学校

    田名学校では、1860年頃2つの寺で読み書き、そろばんを教えた。

    住所 中央区水郷田名1丁目16−2
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  • ㋯ 三栗山 江戸時代からの 入会地

    田名村の入会地は戦国時代の無量光寺の文書の記されている。昔は、田畑の肥料や馬の飼料に下草を刈ったり、燃料や暖房の小枝、薪の伐採を行った。

    住所 緑区小倉1907
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  • ㋛ 塩田には なぞのほら穴 入定窟

    石切り場より下流の断崖絶壁に横穴が掘られている。修行僧が入定(にゅうじょう)という修行の為使ったという説もある。

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  • ㋪ 火の坂に おたぬき様の ほこらあり

    陽原から水郷田名に下りる狭い坂を言う。昔狸の祟りを恐れ「お狸さま」の祠を作った。田名の民話として語り継がれている。

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  • ㋲ 望地馬坂庚申塔 富士山噴火の 二年後にたつ

    江戸時代宝永4年、富士山噴火の2年後に望地馬坂に「女人講中」が庚申塔を作った。

    住所 中央区田名 望地 バス
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  • ㋝ 精米製粉 八瀬川沿いに 水車小屋

    半在家、陽原、塩田地区の八瀬川沿いには昔から水車で精米、製粉を行っていた。また近年は蚕の糸取りも行っていた。

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  • ㋜ すぐ下に 水面見える 久所の井戸

    陽原段丘と氾濫原の水郷田名では数十㍍の高さの違いがある。

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  • ン だいろくてん

    「第六天」個人の屋敷内に第六天が祀られています。民間信仰の厄除けの神様として信仰を集めていたと言われ、小さな社の中に小さな絵馬がたくさん入っています。社の後ろに鹿の子模様を示した「鹿子の木」があります。この地は、戦国時代に連絡のための「のろし」が上げられたと言われています。

    住所 中央区田名1581付近
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